第五回/建立100周年を迎える長崎公園丸馬場の郷士先賢紀功碑

 

 毎年4月27日の長崎開港記念日には、長崎公園丸馬場の郷士先賢紀功碑の前で長崎開港記念会主催による先賢顕彰式が開催されている。

 
 この紀功碑は、大正5年(1916)7月に竣工、同年11月に除幕式が行われた。したがって、今年が建立100周年になる。建設者は、長崎市小学校職員会で、長崎市内有志が賛助金を出している。上部の題字「篆額」は、徳川家第16代・貴族院議長の徳川家達公爵、漢字は加悦長、洋字(ローマ字)は長崎学の祖・古賀十二郎の書である。
 この碑に名前を刻み、顕彰されている人物は、日本人79名、外国人22名の合計101名で、この種の顕彰碑で、外国人がまとまって顕彰される例は珍しく、全国に、世界に誇れる国際交流都市長崎ならではのものといえよう。
 また、日本人にしても、長崎出身者以外の人物が数多く含まれており、 顕彰されている人物の出身地から来た観光客などに興味を引く意味で、この度、長崎開港記念会において、建立100周年を記念し、 説明板を設置することになった。
 建立年代からいって、主として江戸時代以前に活躍した人物が対象となっていて、建設者としては、明治以降の人物について後世の人々が継続的に研究を重ねて追加していくことを期待していたようで、事実、顕彰録作成の形で、追加の試みが行われてきている。

郷土先賢紀功碑

 
外国人22名は次のとおりである。
 

郷土先賢紀功碑(拡大写真) ※外国人22名の名前が刻み込まれている

 


国指定史跡「出島和蘭商館跡」 写真提供:長崎市

 

国指定史跡「シーボルト宅跡」 写真提供:長崎市

   

 顕彰されている日本人で今年特記しなければならないのは、わが国砲術の祖・高島秋帆である。紀功碑では「贈正四位 高島四郎大夫」と記されており、慶応2年(1866)正月14日に亡くなっているので、今年が没150年に当たる。西洋砲術の研究を通じて、わが国に近代科学技術を普及し、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の基盤を構築した人物として、長崎において、もっと高い評価を与えられるべき人物であると考える。
 最近の話題に関連しては、2月・3月に長崎歴史文化博物館で開催された「我が名は鶴亭」展の主人公・長崎生まれ、聖福寺育ちの僧鶴亭の絵画の師匠・熊斐。美術の分類の中に「神代繍江」という名前で、「喜多元規」「渡辺秀石」「釈鉄翁」「木下逸雲」とともに記されている。


国指定史跡「高島秋帆旧宅」
写真提供:長崎市

 
(注:写真の「出島和蘭商館跡」「シーボルト宅跡」「高島秋帆旧宅」は、大正11年10月12日という全国的にいってきわめて早い時期に、揃って国の史跡に指定されている。)

 

 

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