第十回/長崎市内の路面電車
今回は長崎市民の足として開通90周年を迎えた
長崎電気軌道(路面電車)の歴史を紹介いたします。

 
そのはじまり
会社の設立は明治45年、全国の鉄道建設の動きの中で長崎でも特許を得て大正3年8月に 長崎電気軌道株式会社を創立し、翌年11月16日に営業を開始しました。
営業当時は車両はわずか8両、路線は一本、現在の大学病院前(当時の道路は現在よりかなり奥に入っており病院下という名称でした)から築町までの3.667キロでした。
運賃は一区間1銭といいますから、当時の 映画入場券の値段が約15銭だったことから考えると庶民にとっては高価な乗り物だったかもしれません。まだ人力車も走っていた時代でした。やっと車が市民の足となりつつある頃になっていったのかもしれません。
 
その後、路線の拡充を図り、大正年間には長崎市内の主要区間の運行をほぼ完成させました。
昭和に入り、下の川〜大橋間、馬町〜蛍茶屋等々を延伸し順調に市民の足として『路面電車』が確立しつつありました。
しかし、昭和19年の大橋車庫の火災、翌20年には原子爆弾が投下され壊滅的な被害を受けた路面電車は運休を余儀なくされたのです。
そして、市民のためにも1日も早く復旧させなければならないと、わずか3ヶ月半で中央部の運行を再開、長崎市全体の復興にも大きく貢献したのでした。
 

 
今も進化を続ける路面電車
大橋〜住吉間、住吉〜赤迫間と延伸し昭和43年の思案橋〜正覚寺下間が最後の開通区間になります。
現在は車両79両、停留所は39ヶ所(平成17年2月現在)となり今も尚、元気に長崎の街を走っています。
通常運行としては走っていない電車も数両あります。イベント等で活躍しているのが古いものでは明治44年製造の160形(旧西鉄電車)があります。
新型車も今年新たに登場しました。古くから海外の文化が息づいていた長崎らしくヨーロピアンに洗練されたこの新型超低床路面電車3000形は異国情緒あふれる街並 みによく似合います。純国産の超低床路面電車としては初めて台車部分を含む100%の低床化を実現、これはもちろんバリアフリー法に則した80cm以上の通路幅を実現しています。電停と乗降口の段差は7cmとなり、補助スロープでベビーカーや車椅子でも楽に乗り降りすることができます。
 

 
格安運賃100円が維持され続けているのはなぜ?
路面電車は現在、全国に18都市19事業者で活躍しています。
全区間(どこからどこまで乗っても)運賃が全線均一100円(小児50円)というのは全国でも長崎だけです。これは昭和59年からずっとこの格安の運賃です。ではなぜこんなに低価格が維持できるのか?
それは路面電車が通勤・通学・観光の『足』としてだけではなく、様々な形で利用されているのもあげられるでしょう。。その1つとしては華やかに飾られた『花電車』。これは冬の長崎定番のイベントとなった『ランタンフェスティバル』などの時に登場します。
夏にはこれも定番となった『ビール電車』。窓側に並んだカウンターに座り生ビールを飲みながら長崎の夜の街を走り抜けるのです。
そして貸切電車は映画やテレビドラマの撮影にも数多く登場しています。
こういった企画電車の収入もあり運賃100円は維持されているのです。また長崎の立地条件も理由の1つかもしれません。まず市内は特に平地が少ない、幹線道路は国道202・206号しかない為に長崎駅前付近は 九州一の渋滞道路とも言われてきました。そんな中で路面電車はほぼ渋滞とは関係なく目的地に時間通りに着くので現在は年間2100万人(平成15年度実績)のお客様に利用されています。
そして沿線には観光スポットもたくさんあり、観光客の利用が多いことも低価格を支えている要因です。

上記は取材時、平成17年でした。平成21年10月、25年振りに運賃が大人120円に値上げされました。
それでも全線均一、どこまで乗っても120円は、格安運賃です。長崎の足として、今後のご発展を祈念いたします。
 

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