第八回/長崎の石碑特集そのニ−教会の跡地
今回は長崎の石碑特集として教会跡地を取材いたしました。
長崎には数多くある教会、今ではなくなってしまった教会跡地を辿って。
大航海時代には、フランシスコ・ザビエルを始めとして多くのイエスズ会宣教師が来日しました。

 

【サント・ドミンゴ教会跡】

勝山小学校(現在の桜町小学校)の一角にトント・ドミンゴ教会跡があります。先に述べたザビエルの他に、慶長14(1609)年、モラーレス神父を長とするドミニコ会が京泊(現在の鹿児島県薩摩川内市)にあった教会を解体し木材を船で長崎に運び、当時の長崎代官、村山等安が寄進した土地に建てたのがサント・ドミンゴ教会です。
現在ではそれは勝山遺跡とされ、桜町小学校の内部に展示、公開されています。
 

生活に不可欠だった井戸
勝山町遺跡からは15基もの井戸が発見されましたが、
特にこれは高木屋敷時代に使われた、切石を隙間なく積み上げた
重厚なものです。

異国の様式を伝える石畳
大きく平らな石を敷き詰めた石畳は教会遺構の特長です。
折れ曲がった敷石の延長線上で、石組地下室へと繋がって
行くようです。

用途不明の大型石組地下室
四方の壁に石を積み、南側に階段状に掘り込んだ跡が見られます。地下室内には花十字紋瓦をはじめ陶磁器などの教会時代の
遺物がみつかりました。

キリスト教の象徴『花十字紋瓦』
『花十字紋瓦』とは、十字の四方の先端が花びら状に開いた、
いわゆる花十字が文様に用いられている瓦をいいます。
花十字紋は、キリシタン墓碑などにも見られ、キリスト教・キリシタン
の象徴として用いられました。
そのほとんどが長崎市内で出土し、サント・ドミンゴ教会跡では
約80点もの大量な花十字紋が発見されました。
 

 

【サン・フランシスコ教会(修道院)跡】

長崎市役所別館の角にあったとされている『サン・フランシスコ教会』。この教会は慶長16(1611)年、アスンシオン神父によって建築が始まりましたが、完成しないうちにキリスト教弾圧によって同19年に破壊されてしまった悲劇の教会です。
後に桜町牢屋敷が置かれ、この牢には禁教時代の信者が捕らえられ改宗を強いられたりしたそうです。
 

他にもこの二つの教会跡の近辺(長崎市役所〜長崎県庁の間)には、長崎検察庁と長崎法務局合同庁舎のあいだに『ミゼリコルディア本部跡』などいくつかの教会跡が見られます。当時のキリシタン弾圧等の歴史を振り返りながら、ふらりと歴史の散歩をしてみてはいかがでしょう。

 

 

資料提供・取材協力/サント・ドミンゴ協会跡資料館

 

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