第四回/長崎の町特集第一弾−伊良林1丁目
今回は長崎の町特集として伊良林一丁目を取材いたしました。

 

【伊良林1丁目の概要】

日本の西端に位置する長崎県。その県庁所在地が長崎市です。そこまでなら大抵の方ならご存知でしょう。
伊良林1丁目は地理的に長崎市の中心部に程近く、長崎くんちで有名な諏訪神社の正面、新大工町商店街からは徒歩圏内、諏訪神社・新大工町の両電停へも5分以内という極めて立地条件の良い土地です。しかし戦争や再開発の影響をほとんど受けていないため、大正時代の建築物が多く残っています。その旧さから、昔ながらの町並みが残ることにより車を使う人たちにとってはたいへん不便にはなっていまい。でもその歴史を受け継ぐ町内のみなさんはとても元気です。

【町内総出の送り出し】

『精霊流し』とはお盆に帰ってきた『精霊さま』(先祖のみたま)を西方浄土へ、家族(遺族)や地域の人たちみんなでお送りしようという、300年以上の歴史・伝統のある長崎の行事です。
以前は家族や親戚、知り合いなどが集まり、みんなで作るという習わしがありましたが家族の数が少なくなったり、遠方に住んでいたりという事情が重なる現在では、自分たちで精霊船を作るのもままならない状況です。

【個人船】
「精霊船」の製作を請け負っておられる業者さんは多々ありますが、箱物(船の本体)を渡すだけで、「精霊流し」で肝心な「流し方」の指導は無いようです。
【舫(もや)い船】
さらにこの「精霊流し」には、町内会単位の地域で行なう「舫(もや)い船」というものがあります。舫い船とは、個人船と同じくお盆に帰ってきた『精霊さま』(先祖のみたま)を西方浄土へ、地域の人たちみんなでお送りしようという長崎ならではの風習といえるでしょう。
町の行事は一旦途絶えてしまうと、その復活はなかなか難しいものです。増してある程度の人員が必要な「精霊流し」は至難の業といえるかもしれません。
しかし、一度その壁を乗り越えることができれば、参加者の連帯感が生まれ、町や地域を興す原動力とも成り得るのです。
 
資料1(所蔵・伊良林一丁目公民館)精霊流し道中写真(昭和50年代)
長崎では毎年8月15日、御霊の霊を賑やかにお送りする行事が今も尚続きます。
もちろん各ご家庭でのご不幸があられたその年(初盆)に精霊船(しょうろうぶね)を出すのが通例ですが、各町内毎、自治会事にもこうやって毎年流されています。
ちなみに左手前で鐘を持っているのはTV中継でもお馴染みの越中先生。
 

資料2(提供・伊良林在住:上田千鶴子氏)精霊船全景写真/昭和20年代後半
『帆』は現在使用しているものと変わらないので大正11年以降と推測されています。『印灯篭』は現在とほぼ同じ形です。
ただし現在の『印灯篭』は平成6年以降で同一のものではありません。それ以前は箱型なのでさらにそれ以前であるとされています。『みよし』が大きく担ぎ棒があり、船も担ぎ型です。(現在の船の多くは車輪がついています。)
川は中島川と思われますが橋の名は不明です。手前の通りは伊勢町の現在も残る通りで写真自体は概ね昭和20年代後半と推測されています。

【今も残る古(いにしえ)の風景】


銭屋橋(ぜにやばし)です。
昭和57年・長崎大水害の際、越水して落ち、
架け替えられて再生しました。

銭屋橋から直進。町のメインストリートです。
右の四軒長屋は旧・日通社宅で大正年間に建築されています。
   

古い街並みが多く他県から来た方は風情に感じるようです。
とくにこの場所はよく撮影に使われる風景です。

川端(対面)から伊良林1丁目を望む。
手前は中島川。奥に伊良林小学校。

取材ご協力・写真資料ご提供

 

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