長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
創業当時の写真など現存する資料を交えながら加盟店の歴史を振り返ります。
今回は加盟店にゆかりのある近郊の今と昔を写真で振り返り、
町名の由来・歴史等を紹介いたします。

長崎駅の誕生

 明治38年、レールが延伸された埋立地に西の玄関口として長崎駅が誕生しました。左下の写真は昭和初期の長崎駅です。広い駐車スペースには自動車と人力車が多く止まっており、すでに車社会が到来していることが分かります。現在は、奥に駅ビルとホテルが建っています。


昭和初期の長崎駅

現在の長崎駅
長崎駅前の風景

 長崎駅前の風景です。奥の道は桜町方面へと進み、手前は大波止・浜町方面へと続きます。現在は、ビルに隠れてしまっていますが、大正末期には高い建物はなく、奥の山がきれいに見えます。


大正末期の長崎駅前

現在の長崎駅前

公会堂前交差点

 左下は大正10年頃の公会堂から諏訪神社方面に向かっての交差点です。奥は当時終点だった馬町、手前は西浜町、左に曲がると桜町を経て長崎駅側になります。なかなか風情のある風景です。


大正末期の風景

現在の風景

このコーナーでは今回、登場しました近郊の地名の由来・歴史を紹介します。

【尾上町】

 昭和38年11月、旧尾上町・高砂町1〜4丁目の全域が合併し現在の町域となりました。町区内のほとんどを長崎駅が占めています。
 『旧尾上町』明治37(1904)年の第二期港湾大工事で埋築されてできた町。祝意によりこの町名が名付けられました。昭和38年に現尾上町に編入されました。
 『旧高砂町1〜4丁目』明治37(1904)年の第二期港湾大工事によって中ノ島を埋築してできた町で祝意により高砂町と命名されました。昭和38年に町名変更で現在の尾上町と合併しました。

【大黒町】

 昭和38年11月、旧台場町1〜4丁目の全域と大黒町・西上町・西坂町・西中町・五島町・八千代町3丁目の一部が合併し現在の町域となりました。町区内には、県交通産業ビル・土地改良会館等があります。長崎駅の真向かいにあたる町です。
 『旧大黒町』寛文の大改革により、恵美須町から分割され大黒町となりました。恵美須・大黒の縁起によって町名がつきました。大黒町の一帯は元亀開港の頃は現長崎港の奥にあたり、入江には漁船がぎっしり、また現在の長崎駅付近には内外各種船舶の停泊もあり港としての重要な位置を占めていました。昭和38年、現大黒町・中町・恵美須町に分かれました。
 『旧台場町1〜4丁目』明治37(1904)年の第二期港湾大工事によって大黒町の旧佐賀藩屋敷付近の海岸線を埋築してできた町です。同屋敷は維新後、長崎警備受け持ちの為、邸前には十数門の大砲を据え付けてあったので台場町と命名されました。もっとも実戦は一度も経験せず、祝砲用としてその使命を終えました。現在の日本たばこ産業(JT)長崎営業所(現恵美須町)の場所にあたります。

【魚の町】

 昭和38年、旧本大工町の全域と今魚町・酒屋町・紺屋町の各一部が合併し新町名がつけられました。この付近に魚市場があったことから魚の町と命名。町区内には長崎市公会堂・長崎市民会館・しにせ会加盟店の「松翁軒」「江崎べっ甲店」があります。
 『旧今魚町』旧酒屋町と旧大工町の間にありました。長崎くんちに使うビードロ細工の傘鉾(かさぼこ)が有名です。この飾りも「魚」にちなんでいますが、この場所に江戸時代は魚市場がありました。
 『旧大工町』大工町はその名が示すとおり大工職人が集まってできた町で今魚町に続く中島川に面した所に発展しました。大工職人は新しい町を建設する上で非常に必要な人たちであり大工町は大いに発展しました。後に新大工町の成立に伴い本大工町と改称されました。