長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
創業当時の写真など現存する資料を交えながら加盟店の歴史を
振り返ります。

第十三回/吉田塗料産業

社訓

 現社長、正和はこう言います。「必要な物を必要な時に必要な所に届ける。これが創業以来の“社訓”。長年の付き合いの中ではたしてお客様のニーズを充分把握しているのか、こたえているのか。。と仕事を常に振り返る自戒の念が込められている。」

伝統を重んじつつの一大決心

 『吉田塗料産業』の前身は、加盟店一覧からの本文にある通り、医薬品の販売業でした。そして1902年、店名を『吉田染料店』と定め、取扱品目を染料・工業薬品・漆などに拡大しました。
 大正に入ると、三菱重工長崎造船所や三菱電機長崎製作所などの大口取引先を次々と開拓しました。現在の社名にうたわれている塗料を主力商品にしたのは戦後のことです。
 1975年、正和社長は一つの決断をします。明治から続いた屋号を変えたのです。『吉田染料店』から『吉田塗料産業』へ。社内外に惜しむ声もありましたが、伝統を継承しながら新たな事業に取り組む決意を込めてのことでした。
 創業当時と違い、染料の取扱は1%を切っていました。そこで営業内容の説明で混乱することが度々あったのです。他の老舗の方々からは『伝統を軽んじるな』と叱咤もされたそうですか、それは吉田塗料産業の行く末を親身になって案じてくれていることと思い涙を流して社長は喜ばれたそうです。
 こうして現在は技術革新とともに、事業の拡大に邁進しているのです。


昭和8年頃の初荷風景。「吉田染料店」の看板が見えます。

社長になってからの苦労

 現社長は三代目にあたり、その就任早々、上述の社訓の重みを痛感することになります。日本国中がパニックに陥った1973年の第一次石油危機。石油製品である塗料への打撃は激しく、二代目にあたる父民造の死去により社長を継いだ当時、深刻な品不足が襲ったのです。
 「多くのお客様が仕入れをあせり、通常の2倍3倍も欲しがる。しかしこれに一つ一つ対応していたのではすぐに品切れになる。長年の付き合いで先方の仕事に必要な量を充分把握していたので、『品切れさせないよう必ず納める』と一軒ずつに説明をし何とか必要最小限で納得してもらった。危機を乗り越えられたのも社訓のおかげだと思っている」と社長は語ります。