長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
創業当時の写真など現存する資料を交えながら加盟店の歴史を
振り返ります。

第十回/高野屋

 長崎県庁通りに位置する『高野屋』は、現在もからすみ一筋に営まれています。
 高野家は熊本県八代の出身で長崎に移住して来たのが、出島埋立工事の際(1620年頃)とのこと、その当時、八代からの移住の方がかなり多かったらしく、創業者の勇助氏はその中の一人だったとのことです。そこから、本文でもある通り、承応年間(1655年頃)に伝来された『からすみ』の製造を始められる前は万屋町にて魚屋として開業、その場所近辺が街を中心とした魚市場(船着場)であったことと、『からすみ』を製造され始めた頃には冬季(11月〜12月)の季節物だった為に多種のものを販売されていたのだと思われます。
 本下町(現在の築町)には明治初期、移転されました。現社長、高野昌明氏は十三代目にあたります。下記の写真は現在の場所より数十メートル西に位置した店舗(明治)のものと思われます。移っている人物は昌明氏の祖父、十代目の作重氏とのことです。


明治時代の店舗写真


昭和6年、からすみが天日干しをされている写真

現在も変わらぬ製法

 高野社長のお住まいを兼ねた工場では、今も毎日、『からすみ』の製造に多くの時間を費やしています。屋上には、木の台に置かれた板にズラリとからすみが並んでいます。飴色のものから茶色のものまで大きさも様々です。
 社長はこう言います。
「朝出して干して、2時間毎に返していきます。夕方の3時か4時には引っ込めます。小さいので1週間ぐらい、大きな物だと10日間ぐらいかかりますね。」と。
 からすみの琥珀色に輝くあの美しさはこの日々の社長自らが行われる工程と自然の陽光をたっぷり浴びた賜物なのです。
 からすみの原料は、ぼらの卵、漁師から塩漬けされたものを仕入れ、これに更に塩を足して、1週間以上塩漬けにして、1日かけて塩抜きをします。塩は岩塩を粉砕したものを使用し、塩抜きはひとつひとつを丁寧に水の中で卵の皮膜に着いた余分なものをはぶき、板に並べて一晩重しをかけて整形し干します。
 「一つの工程に費やす時間は約20日ぐらいかかります。一番の苦労は塩抜き。塩を抜き過ぎると乾きが遅くなり味もよく出ない。抜き方が少ないと辛い。ウチのからすみは昔ながらの味がすると喜ばれている。それはこの塩抜きにあると思いますね。塩抜きで味が変わる。その按配はやはり長年のカンですね。」

宮内省御用品

 正徳2年(1710年)より、長崎奉行を通じ、宮中及び将軍家の御用品として献上されてきた『からすみ』は食通の愛用品としてその後の名声を博しました。上記の写真は昭和19年まで続けられていた宮内省への御用品としての貴重な記録です。