長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
今回は長崎の伝統行事「精霊流し」のご紹介。
第三十二回/精霊流し
■桜馬場郷の精霊船の帆の虫干し
現在の桜馬場町に現存する
最大で最古の精霊船の帆が保存されてる
「最勝」の文字
写真:株式会社郷土出版社 『長崎市の100年』より
「ドーイ、ドーイ」の掛け声に合わせて精霊船で賑やかになる。盆の十五日夜に各家で造られた大小の精霊船が県庁坂を登る。
精霊流し(しょうろうながし)は、亡くなった人の霊を船に乗せ、極楽浄土へ送り出す日本の伝統行事。
この行事は各地で行われるが、長崎の精霊流しは他の地域風習とはかけ離れて独特の発展を遂げている。
流す船のことを精霊船(しょうろうぶね)と呼び、長崎県内各地でお盆に行われる。
初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着点まで運ぶ。
夕方から開催され、爆竹の爆発音・鉦の音・掛け声が交錯する喧騒のなかで行われる。
精霊船の種類は大きく2つある。「個人船」と「もやい船」と呼ばれる自治会などが合同で出す船。
流し場までの列は家紋入りの提灯を持った喪主や、町の提灯を持った責任者を先頭に、長い竿の先に趣向を凝らした灯篭をつけた「印灯篭」と呼ばれる目印を持った若者、鉦、その後に、揃いの白の法被で決めた大人が数人がかりで担ぐ精霊船が続く。近年では「担ぐ」といっても船の下に車輪をつけたものが多く、実際には「曳く」ことが多い。
印灯篭は船ごとに異なる。もやい船の場合はその町のシンボルになるものがデザインされている。個人船の場合は家紋や故人の人柄を示すものが描かれる。
精霊船の基本形は前述の通りであるが、近年では印灯篭の「遊び心」が船本体にも影響を及ぼし、船の形をなしていない、いわゆる「変わり精霊船」も数多く見られる(例:クルマ好きの故人→クルマ型など)。
由来は諸説あるが、中国の彩船流しの影響が色濃くでているものとされている。また、流し場までの道行で鳴らされる爆竹は、中国が起源であるなら「魔よけ」の意味であり、精霊船が通る道を清める為とされる。
昔の船は竹や藁を縄で結い、実際に海へ流していましたので、浮かぶようにできていた。精霊流しの灯りの行列は、江戸時代でも夢のように壮観であったという記録が残っている。海面に映し出される灯の美しい風景に、江戸時代の人々は魅了されたに違いない。しかし、海に入った担ぎ手が亡くなったり、海上で船が燃えるなどの事故も多く、明治4年には船を海に流すことは禁止となった。
現在は、各家庭または町内ごとに精霊船を造り、数時間かけて市内を練り歩く。初盆を迎える家では、1ヶ月ほど掛けて家族や親戚、故人と所縁(ゆかり)がある人たちが集まり、精霊船を自分たちの手で造る。このような伝統はこれからも長崎の街に受け継がれていくであろう。