長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
今回は「江崎べっ甲店」のご紹介。

第三十七回/江崎べっ甲店


大正2年の頃

 べっ甲細工は、もともとは中国の技術である。万里の長城で名高い秦の始皇帝の王冠の一部が、べっ甲で装飾されていたといわれている。
 また今から約1400年前、隋より小野妹子が持ち帰った皇室の献上品の中に、べっ甲を用いた美術品があった。奈良正倉院の宝庫に、わが国最古のべっ甲として保存されている。
 わが国におけるべっ甲製作の歴史は約三百数十年である。徳川幕府の鎖国政策によって、オランダ人と中国人による長崎一港での貿易となった為、べっ甲原料を容易に入手できた長崎でべっ甲細工は発達し、花街丸山の装髪具にも用いられ、京都・江戸へと流行した。
 現在は鼈甲(べっ甲)細工と呼びならわされているが、本来は玳瑁(たいまい)細工が正しい名称である。玳瑁は、字のごとく珊瑚や琥珀と同様、宝玉、珠玉などを表す王偏の文字が使われ、このことからも玳瑁が昔から中国で珍重されていたことがうかがえる。何時の頃から玳瑁がべっ甲と呼ばれるようになったかは定かではないが、江戸時代の奢侈(しゃし)禁止令が出されたとき、玳瑁製の櫛(くし)やかんざし類を、亀として価値の低いべっ甲製と言い逃れたためと言われている。従って現在でも、献上品等の場合には、「玳瑁製」という表現が用いられている。

・初 代 江崎清蔵 宝永六年(1709)、長崎に江崎家を興す。
・二代目 江崎清造 寛延元年生(1748)、文化年間から今魚町の組頭を務めている。
・三代目 江崎清蔵 天明八年生(1788)。
・四代目 江崎清造 文化十五年生(1818)文化年間から今魚町の乙名(江戸時代長崎町役人の職名)を努めている。
外国人向けにべっ甲細工を造り出す。
・五代目 江崎栄造 天保十四年生(1843)帝国宮内省御用達。日露貿易視察農商務省嘱託。露国において最初の日本見本市を開催。露国皇室御用達。
・六代目 江崎栄造 明治十一年一月二十五日生。帝国宮内省御用達。
無形文化財
・七代目 江崎栄一 明治三十三年七月五日生。昭和四十一年県展に「光の曲線」を出品し、文部大臣賞受賞。昭和四十四年皇太子殿下(現天皇陛下)、妃殿下(現皇后陛下)より、御宿舎にて御用命。
昭和四十四年昭和天皇、皇后両陛下、当社に奉迎。
昭和四十五年紺綬褒章受賞。昭和五十年長崎県民表彰受賞。昭和五十六年県・市からローマ法王への献上品を製作。
・八代目 江崎浩二 昭和三十九年 べっ甲資料館開設。
・九代目 江崎淑夫 (現社長)
 初代江崎清蔵が江崎家を興したのが、宝永六年(1709)、今から三百年前である。 その後六代目まで江崎清蔵、清造、栄造の名を世襲している。中でも六代目栄造は大正二年四月、新たに宮内省御用達となった。1937年のパリ万国博に「鯉の置物」を出品し、グランプリを受賞する等、数々の賞を獲得。
長崎のべっ甲の名声を世界的に広めた。この「鯉の置物」は、江崎べっ甲店内に併設された、べっ甲資料館にいまも展示されている。又、六代目栄造は、べっ甲業界で唯一人、県の無形文化財の指定を受けた。





 明治三十一年(1898)に建設された木造二階建ての店舗。洋館と和風の建築が分け目なくドッキングしている珍しい建築物。国の登録有形文化財(建造物)に指定されている。原爆等の戦禍にみまわれながらも、幸い焼失することもなく、その景観を今に伝えている。長崎らしい写真スポットとして、観光客からも好評を得ており、歴史ある建物をこれからも大切に保存していきたいとしている。

現在の店舗外観(登録有形文化財の建物)
べっ甲資料館にはパリ万博グランプリ「鯉の置物」展示

 べっ甲細工は伝統工芸であるが、作られる物の大半がアクセサリーである以上、ファッションや流行と無関係ではあり得ない。常に時代のニーズに向け、新しい製品作りが日々休むことなく続けられている。
と同時に、江崎べっ甲店には、伝統のデザインがあり、これらの商品が代々受け継がれてきた老舗としての風格を醸しだしている。
 大量生産にはない、手作りならではの一つ一つ製品にこめられた愛情と職人の匠の技。江戸時代から連綿と続く長崎の伝統工芸「べっ甲細工」をこれからも守り伝えて貰いたいものである。