長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
創業当時の写真など現存する資料を交えながら加盟店の歴史を
振り返ります。

第九回/梅寿軒


明治時代の店舗写真

 長崎市の中心地、ベルナード観光通りの次の中通り商店街に位置するこちらの「梅寿軒」は創業天保元年、今年で創業から172年という老舗和菓子店として歴史があります。最初は現在の勝山町に初代、岩永米造によって創業、それから矢寄町(現在の丸山町)、鍛冶屋町へと移りました。現在地である中通りの諏訪町に移ってきたのが明治35年、三代目にあたる徳太郎の時です。昭和20年8月のあの長崎原爆にも耐え、現在でもほぼ当時の状態でその佇まいを観ることができます。


大正時代の店舗写真

 現在、シンボルとなっている看板は大正時代に掲げられたもので舟の底に使っていた板で作られたものです。


現在の店舗写真

 そして建物全体としては1996年長崎市都市景観賞の歴史のある部門で受賞しています。

和菓子においての自信と誇り。そして伝統。

 食するほどに職人たちの熱い鼓動が聞こえてきそうな和菓子の魅力。その歴史は古く、一説では遣唐使の時代までさかのぼるといわれています。その中にあって「梅寿軒」は県内でも有数の老舗として熟練された職人たちの手によって、その伝統の技と味は今日まで受け継がれています。
 ある文献に『明治42年、九州日の出新聞社の主催で長崎市内菓子商の人気投票が約3週間にわたって実施された。この間、得票数の順位はめまぐるしく替わったが、最終締め切りの結果、梅寿軒が61,737票を集めて見事一等』とあります。当時の人気もここで伺えます。

地場を守っていくことが先決

 現在、店舗は諏訪町の本店だけです。全国からの注文は現在、コチラの通販サイト他の配送でカバーしています。現代表、徳二はこう語ります。「新規出店は今のところ考えてない。菓子は品質・味の管理が大切だから、店舗を増やすと自分の目配りが効かなくなってしまう。まずは地場をしっかり守っていくことが先決」と。
 梅寿軒では材料の配合は代々、職人の口伝えで受け継がれています。配合表のようなものはなく、昔は計量の場さえ、ほかの職人には見せなかったといいますから、やはり目配りの効かなくなる大量生産、出店の計画はやりたくないというのが心情でしょう。

もしほ草の考案

梅寿軒の『寒菊』と同じように主力商品である『もしほ草』は三代目徳太郎が考案しました。昔は、塩を作る時に海草をかき集め、みすの上に乗せ塩水を汲みかけその塩水を煮詰め、水分を蒸発させて作ったそうです。この海草のことを『藻塩草』と言っていました。藻塩草(ホンダワラなどの海草)を『もしほ草』として、求肥と昆布を使ってお菓子で表しました。表面の砂糖で、藻塩草の塩を表し、お菓子全体で波打つさざなみを表現しています。

全国ネットの反響

 今年3月TBS系列の番組で紹介された「梅寿軒」は、その翌日からコチラで開いている通販サイトでの注文が急増。女優小林聡美さんによる取材の効果で長崎カステラの注文が伸びました。この時ばかりは全国ネットの威力の凄さに圧倒されました。これからも持続されるようなサイトにしていきたいと考えています。