長崎しにせ会加盟店は激動の歴史とともに歩んで参りました。
今回は平成18年で100周年を迎えました
『安達株式会社』のご紹介。

第二十八回/安達株式会社


■屋号「かねくら」

由来は創業者の父親、内蔵七の一字を曲がりと組み合わせたもの。


安達のはじまりは、明治39年(1906年)創業。屋号名は「安達金物店」。
金物小売業からスタートしました。創業者は現社長・安達一蔵の祖父にあたる「安達内蔵治」。当時の長崎は、市制が施行され、電灯・電話・ガス等のインフラ整備が進むなかに市民生活が近代的になり始めた頃でした。長崎港湾改良工事で鎖国のシンボルだった出島の姿を消したのもこの頃のことでした。活気溢れる長崎の町、西古川町(現在の古川町)で「安達金物店」は歩みはじめ、店舗周辺にも金物屋が軒を連ね、便利な道具や生活用品を求める人たちで賑わいを見せていました。そのなかで安達は工具類を取り扱う店として評判を獲得し、信用を築くと共に発展していったのです。

■昭和23年の安達商店の荷札

大きな発展のきっかけだったのは、大正7、8年の頃に創業者・安達内蔵治は、米国製のペンチを見て、当時としては画期的なペンチで使いやすく、内蔵治は「これは売れる」と判断し、この商品を大量に仕入れました。それから三菱重工長崎造船所へ紹介し、これが人気商品となりドライバー、ドリル、ニッパーなどをはじめ、工具類や大型部品、工作機械などの「金物」を同造船所に納める企業として成長していくこととなりました。
内蔵治の判断はまさに進取の希少だったのです。
また、昭和8年には西浜町(現在の本社ビル)に支店を開設し、主に家庭金物など生活用品を扱う小売業を始めました。「工具」の古川町、「家庭用品」の西浜町という安達の両輪となって、二つの店は競うように繁盛していきました。そして、昭和21年には「株式会社安達商店」設立へ繁栄の一途をたどっていきました。

戦後、多くの実績を携え、本格的な商社活動へ。
安達が商社としての道を歩きはじめたのは、昭和25年頃のこと。朝鮮戦争景気に湧く時代の中、三菱重工長崎造船所が完成させた貨客船の船舶金物やホールの手すりを納入したことを契機に本格的商社としての足場を固めました。昭和36年には旧支店跡地(西浜町)、長崎一の繁華街であるアーケード入り口に近代的ビル(5階建)を建設。4・5階に本社オフィスを構えました。そこを土台に、年々業務を拡大し、全国各地に営業拠点を広げ、平成元年には社名を「安達株式会社」に改称。現在は、関連会社十数社を抱く企業体へと成長し、有名企業を主要取引先に、プラント機器、船用機器、誘導・制御機器の三部門を柱とする商社として全国をフィールドに広くビジネス活動を展開いたしております。


■昭和30年頃の鉄橋(くろかね橋)
写真右の建物が安達商店


明治39年(1906年)に誕生した「安達金物店」は、「安達金物兄弟商会」〜「株式会社安達商店」〜「安達株式会社」へ社名変更をする度に成長を遂げ、お陰さまで平成18年(2006年)には創業100周年。時代は明治から大正、昭和、平成と巡り、一世紀の歳月を重ねてまいりました。西古川町に「金物小売業」として蒔かれた小さなタネは、長崎という豊かな土壌の中で多くの皆様のご支援やご鞭撻を得て、日本全国にそのネットワークを広げています。振り返れば、礎を築いたのが、創業者である安達内蔵治とノブ夫婦、その意志を受け継いだのが四人の息子たち。長男一雄はアイデアマンで金物のイメージアップに貢献しました。二男栄治は西浜町に支店を作り、商品研究に尽力しました。三男倉三(二代目社長)、四男健治(三代目社長)は商社として大手企業参入に力を発揮し、安達をさらに上のステップへと導きました。
これからもお客様第一主義を貫き、社会貢献、地域貢献を図りながら、発展の道を地道に歩み続けてまいります。