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〒850-0851
長崎市古川町6−33 |
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095−827−6767 |
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明治27年(1894年) |
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洋菓子・和菓子の製造販売、
喫茶レストランの経営 |
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■本社社屋 |

■本社地図 |
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梅月堂の沿革 |
創業は明治27年。長崎市大浦町に初めは和菓子の訪問販売から始めました。それから長崎市本石灰(もとしっくい)町に店舗を構え、長崎市船大工町に移転。やがてメインストリートが館内に移ると、店舗も移動しました。時代に合わせ、メインの販売する場所を移動していきました。
戦後、生クリームが出始め、今でも人気の「シースクリーム」などが売れるようになってきました。二代目までは和菓子も両立していましたが、三代目になって洋菓子店に絞りました。パン屋もしていたのですが、昭和57年、長崎大水害に遭い、閉店。その2年後、二代目の想いが現在の四代目社長である時夫に伝わりました。「良い和菓子屋がやりたい」という思いから和菓子職人を探すために京都や金沢まで足を運び、そしてベルナード観光通りの「菓匠穂俵」を1986年に開店しました。
現在は洋菓子専門の「梅月堂」、食事もできる「プルニエ梅月堂」、和菓子専門の「菓匠穂俵」という3部門を「梅月堂」というイメージの中でどう展開できるかを考えました。混ぜることはしない、中途半端なものになるよりも、それぞれの分野での「専門店」として特化したものを作りたい、そういう理念から、その分野におけるニーズに答えられる柔軟性が出てきました。
1996年には夜型店舗となる思案橋店をオープン、その後も大型のショッピングモール等への出店も盛んに行っています。 |
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ワッフルが並んだ逸話 |
| 確証はありませんが、こういう逸話があります。二代目藤四郎が夜中、店の外で寝ている酔っ払いがいたので泊めてあげたところ、彼は長崎に入港していたドイツ船のコックだったらしいのです。そして恩義を感じた彼は、翌日から毎日店に来てはドイツ菓子の作り方を二代目に教えたそうです。当時は洋菓子店など無かったのですが、それから弊社には和菓子の隣にワッフルが並ぶようになったそうです。 |

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